2018年は兵庫県が成立して150周年。節目の年です。150年前の7月12日(旧暦1868年〈慶応4年〉5月23日)初代知事は20代の青年 伊藤博文。神戸 旧居留地に「伊藤町」の名前も残っています。兵庫は、五国(摂津、播磨、但馬、丹波、淡路)で一つの県となりました。
県の地名は、天智天皇の治世に兵器倉庫があったことから「つわものぐら(兵庫)」が由来とされています。今年は県政150周年を記念し、一年を通して約150の関連行事が執り行われています。7月12日には記念式典が、国内外から招待客1,500名を迎え神戸国際会館にて開催されました。
県のあゆみと未来の姿を考える式典。「兵庫2030年の展望」に、一企業としてわたしたち基陽も参加し『未来の仕事と生活のモデル』として、基陽の働き方が紹介されました。出社する日と在宅ワークの両立で、生活と心にゆとりを持ちながらも、安心してバリバリ働き、そして楽しく子育て。人口減少、人口ピラミッドは『棺桶型』。
未来への警鐘が鳴らされている中、わたしたちの“今”が県の未来のモデルとして取り上げられる事は、光栄ではありますが責任も強く感じています。
50年後、200周年を迎える時にはどのような働き方、生き方が主流なのでしょうか。それを決めていくのは、現在の自分たちがありたい姿を考え、一つ一つの想いや願いを行動に移していくことが大切と感じます。日本の始まりは、イザナギノミコトとイザナミノミコトが大海原を鉾(ほこ)でかき混ぜて、落ちたしずくが島になったとされる淡路島、ここも兵庫県です。
未来を考えることは、来し方をふり返る事。
震災や豪雨で多くの方が被害に遭われました。様々な想いや願い。見えないけれど、一番大切な事と考えます。
わたしたちの役目は今を大切にしながら、想いをつなぐことなのではと、あらためて考えさせられています。
今号志在千里の初めに兵庫県の県名の由来は「兵器の倉庫」と申しました。基陽が所在する兵庫県三木市、この“みき”の名前の由来はお神酒(みき)だそうです。神功皇后が行幸された時にお酒を献上し、喜ばれたことから神酒(みき)と呼ばれるようになったという由来があります。
ちなみに基陽(きよう)という社名は「“基”本を大切にし、太“陽”の光の様に安全安心を隅々まで届けたい」という意味です。県政150周年と関わらせて頂いたおかげで名前の由来や、自分たちは何者であるか、を考えさせてもらえた良い時間でした。これからも「我々は何者で、どこへ、誰と何のために向かうのか」と、時に立ち止まり考えながら、前に進みます。
藤田尊子