「各国の親が子供の登校時にどのように声をかけるか。ここに国民性が出る」とケント・ギルバートさんが講演で話されていました。
「和を以て貴しとなす」とは日本で大切にされている言葉であり、私達も「みんな」という言葉が好きです。「みんなやっている」「みんな持っている」に安心します。日本人の親は自分の子供に「みんなと仲良くしなさいね」という事が多いそうですが、すぐ隣国でも随分違いがあり、韓国では子供に「一番になりなさい」「負けないようにしなさい」。中国では「騙されないようにしなさい」と言うそうです。そして、アメリカでは「正しくありなさい」ちなみにこの言葉は「begood(いい子でね)」という意味もあるそうです。
私達が「みんな」という言葉をよく使うのと同じくらいよく聞くのが「普通」という言葉です。ケント・ギルバートさんはワールドカップで日本人が「普通」にゴミを拾うのが海外でニュースになり、驚きを持って報じられたという話もされていました。確かに、スポーツ観戦にゴミ袋を持って行くのが「普通」と日本では言われます。でも、公共の場でもゴミをポイポイ捨てる国もあります。海外の観光地の池にスナック菓子の袋やペットボトルを「普通」に投げこんでいるのを見て驚いたことがあります。海外の駅で、目の前で袋を落とされたのを見て、落とし物と思い拾って追いかけたらゴミだったこともありました。「普通」は自分の勝手な思い込みだと気付かされました。ゴミの捨て方や遺失物の変換率は民度の高さ低さに例えられますが、他と比較して自分達の文化に気付く事は多くあります。
コロナ禍で海外との人の往来に制限はありますが、情報やモノは動き続けています。間もなく人の動きも再開される日が訪れます。「仲良くありたい」と思います。ですが、どの文化にも歴史があり、そもそもの背景が異なるということを踏まえておくことは重要です。
自分達の「普通」や「好き」は、その国や文化圏に生まれ摺りこまれ、育っていくと思います。親から言われ続けた言葉を大切にしている次代を背負う一人ひとりが、民度を上げ国民性を高めます。
「自分達の普通」を外国の方に気付かされた事、このコロナ禍だから気付きの深度にも影響がある事。様々にネガティブな事象にも、和を以て貴く。みんなで仲良く前に進みたい、と考えています。